てんでオーロラを見ているかのようで、刻々と転じる煙の大波を見ていると正にあきないのである。

立ち上る煙をしっかり見ているのが好きです。さながらオーロラを見ているかのようで、刻々となる煙の大波を見ているととってもあきないのである。
こういう煙のスポーツを全て企画できるようになったら、人物は完璧に気候危惧を向けることが出来るのだろうなと想う。こんなにも科学が進歩しているのに気候危惧はその日の気候すら当たらないこともある。とにかく気候危惧では、降水料率だけじゃなく、天候危惧士が明日の気候を割り当てる自身のほどをパーセンテージで示してもらいたいという。
気候危惧というネーミングからして予防線を張ってしまっておる気がする。
こうやって煙が立ち上るコンディションをじっくり見ていると、一期一会・諸行無常を感じる。初めてとしておんなじ形の煙にならない。
煙だけをひたすら眺める、一つのポイントだけに時間を使うこういう期間セルブな兆候が良い。今まではこれしながらこれしてという期間を有効に取り扱うことばかり考えてぎすぎすしていたから。虚無ってこういうことかもしれない。無は何も考えないってことではなく、散らばった意思をはじめケ所に詰める、何か一つのポイントに集中する。それが無って意味なのかもしれない。そんなことを煙を見ながら考え事をするのが好きです。子供用の歯磨き粉のブリアンを使います